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平和コラム

核兵器廃絶を求める「平和の波」に呼応して

原水爆禁止世界大会の参加者の感想文を紹介します

原水爆禁止2017年世界大会に参加して
   城東支部 かがやけ分会  西坂 晃平さん

 今回、原水爆禁止世界大会に参加しようと思ったきっかけは、今から12年前の戦後60周年の折に広島の原爆資料館、鹿児島の知覧特攻平和館を見学する機会があったからでした。当時私は中学生でしたが、その時に周った資料館ではこれが現実に起こったことなのかと大いに衝撃を受けました。あれから12年たった今でも強く印象に残っています。そして、職場の先輩に福祉保育労で長崎の原水禁世界大会に行けることを教えてもらい、これは良い機会なのではないかと参加させていただきました。

 長崎に行って最初の日は世界大会の開会総会に参加し、今年の7月7日に国連の会議で122か国が賛成し、核兵器禁止条約が採択されたことを会場全体で祝っていました。それと同時に核保有国であるアメリカ、ロシア、英国、フランス、中国の5か国を筆頭に全廃に向けて核軍縮の努力をしていかない国や、日本を含めた「核の傘」で守ってもらおうとする国々の思惑などもあり、まだまだ問題が多く積み重なっていることを伝えていました。
 また、総会にはアメリカ、インド、オーストラリア、韓国、ヨーロッパ諸国や中東・アフリカ諸国など22か国の海外の代表者の方々も多く参加されていて、核兵器のない世界に向けて多くの国々が取り組んでいることを学びました。

 2日目は動く分科会に参加し、被爆遺構・碑めぐりを行いました。松山町にある爆心地公園からスタートして、まず原爆落下中心地に行きました。そこには「原爆落下中心碑」と呼ばれる御影石で出来た6.5メートルの石柱があり、この石柱の上空500メートルで原子爆弾が炸裂したそうです。柱の根元には「原爆殉難者名奉安箱」があり原爆死没者名簿のマイクロフィルム化したものが永久保存されているとガイドさんから説明がありました。その隣にはレンガで出来た柱と壁の一部があり、これは浦上天主堂の聖堂の一部で、被爆者や長崎の市民はこれを含めた天主堂の廃墟を惨劇の遺跡として後世に残してほしいと市に陳情を行いましたが、様々な理由があり聖堂は撤去されてこの遺跡のみが移築されたそうです。他には護岸工事の際に出土した被爆当時の地層が展示してあり、壊れた家の残骸や熱で溶けたガラスなどが大量に埋没しており、現在でも道端に表面が焼かれた瓦の欠片などが落ちていました。長崎大学では当時の門柱が残っていて、重さが約7トンもある門柱が傾いている様は爆風の凄まじさを感じさせました。その後は浦上天主堂へ行き、爆心地公園で見た遺壁の南側部分を見学し、天主堂内部では熱で焼かれてしまったマリア像の一部が祭壇に飾られていました。
 また、天主堂の周りには被害を受けて所々が欠けてしまったり黒く焼けている像や、吹き飛ばされて落ちた鐘楼の屋根部分が保存されており、当時の被害状況がまだ色濃く残っていました。昼食をはさんだ後は、被災協講堂にて被爆者の方のお話を聞きに行きました。当時は友人たちと蝉取りをしている最中に被爆したそうです。木の上に登っていて友人に「おおい、そっちにいったぞー」と声をかけられた次の瞬間、強い光と共に吹き飛ばされ気が付いた時には瓦礫に埋もれて周りには何もなく、友人たちも見当たらずに家に帰ろうとしたら全てが無くなってしまっていたせいで帰り道が分からなかったとおっしゃっていました。何とか家に戻って母親に「その足はどうしたんだ!」と言われて初めて両足が真っ赤に焼けて血が出ているのを自覚したそうです。その後は父親のお兄さんと共に、他の親せきの方を探して歩くのは両足を怪我しているのもあり、とても辛かったとおっしゃっていました。実際に経験されたお話は想像もできないほどに壮絶で、痛ましく辛いものでした。

 長崎の世界大会を通じて多くのことを学ばせていただきました。爆風によって吹き飛ばされた町、今なお様々な症状が出て苦しんでいる被爆者の方々、72年経った現在でも原爆による爪痕は色濃く残っていました。戦争、原爆による被害の恐ろしさは以前に行った広島での経験で少しは理解していたつもりでしたが、より理解が深められたと思います。今回の世界大会に参加して、核兵器禁止条約が採択された裏には被爆者の方を始めとした、世界各国の多くの方々の平和への願いが込められているのを感じました。本当に良い経験が出来ました。原爆について、長崎、広島で起こった惨劇についてまだまだ知らない人が多くいます。この大会で学んだこと、感じたことを少しでも多くの方に伝えていきたいと思います。

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