核兵器廃絶を求める「平和の波」に呼応して?
原水爆禁止世界大会の参加者の感想文を紹介します?
長崎 原水爆禁止世界大会に参加して
南多摩支部 桜ケ丘第一保育園分会 曽我 麻子 さん
学生の頃、広島大会に参加し原爆の恐ろしさ、悲惨さに衝撃を受けた事を覚えています。今回改めて長崎で起きた被爆の実態を学びたい思いと、小学5年生になる息子に72年前に長崎で起きたことを知ってもらい、何か少しでも感じてもらいたいと一緒に参加しました。
今回私は息子と一緒に少年少女の集いに参加しました。
子ども達と一緒に被爆現場を巡る中で山里小学校の「あの子らの碑」のお話が印象強く残りました。 山里小学校は爆心地から北約600メートルのところにあり、1581人の子どものうち約1300人が亡くなりました。
この碑は永井隆医学博士の寄付と協力で、亡くなった友達の冥福と世界の平和を願って建てられました。永井博士は「この石碑に敬礼するようではダメ。この石の上に乗って遊んでもいい、そのために石碑は危なくないように低い物にした。長い年月の間にはこの石碑が何のために建っているかわからなくなるかもしれない…子ども達は遊びながら平和って?むかし原爆で何千何万の人が死んだとじいちゃんが言ってたな…と話しあうでしょう……」と話したそうです。そのくらい平和が続いてほしいと願いが込められています。
私も一人の大人として子ども達に平和をどう伝えていくのか考えさせられました。
現在は学校の決まりで、この石碑に乗る事は禁止されているそうなのですが、子ども達にとって身近な存在であればあるほど、今はわからなくても大きくなった時にあの子らの碑に込められた思いを感じることができるのではないかと思いました。
被爆者のお話、戦時中の食事体験(ジャガイモのおかゆとすいとんをいただきました)平和紙芝居など、子ども達と一緒に学び体験させて頂き私自身たくさんの学び、発見がある分科会でした。
被爆72年になる今年の7月7日、国連で核兵器禁止条約が採択されました。このことが被爆者の方、今まで核兵器廃絶に向けて運動してきた方、そして私たちにも大きな希望と勇気を与えてくれたと思います。今年の大会は今までの運動が一歩前進したことでとても活気あふれた大会でした。
しかし、唯一の被爆国である日本はこの条約に参加していません。分科会に参加した被爆の実態を知った子ども達も「戦争は一度もしたくない」「爆風や放射能の被害が出るのに日本はなぜ条約に参加しないのか不思議でたまりません」「原爆の怖さをみんなに伝え核兵器をなくすのに賛成してもらいたいと思いました」等…最後メッセージカードに書いていました。
この子ども達の思い…私たち大人は核兵器のない未来を子ども達に手渡せるようにしていかなければ、と感じます。世界では戦争より平和に詳しくなろう!と行動を起こしている人たちが沢山います。長崎を戦争での最後の被爆地にするために、私たち一人ひとりの力は小さいけれど、みんなで平和の流れを大きくしていきたいと思います。
そのためにできること、長崎で感じたことを周りの人に伝えたり、署名活動をしたり、少しずつでも行動していきたいです。
最後にカンパや折り鶴作りに協力していただいた皆さんに感謝します。ありがとうございました。