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平和コラム

核兵器廃絶を求める「平和の波」に呼応して

原水爆禁止世界大会の参加者の感想文を紹介します

世界大会に参加して 北多摩第3支部 みたか小鳥の森保育園分会 亀田 千尋さん

「セミの音を聞くと、仲間の声を思い出す。私は8月が大嫌いです」
私は被爆者のこの言葉に涙が止まらなかった。
自分は仲間や家族を救えなかったと、不自由な身体で、限りある時間の中で、思い出したくない体験を話して下さった被爆者の方の姿が忘れられない。

原爆投下から72年。そしてこれからも“死ぬまで”被爆者は体の中に存在している原爆の影響に苦しめられている被爆者の体験を聞いた後の原爆資料館では、写真や遺品を見て生き地獄を感じた。学生時代、歴史を勉強する中で原爆のことは学んでいた。そう“知っていたはず”だった。しかし映像を見る毎に、「こんな事実が現在と同じ地で、日本で、あったなんて」と思った。
知っていたはずなのに、知っている“つもり”になっていた自分を恥じた。
恥じると同時に、原水禁を通して学ぶことが出来て心から良かったと感じた。

3日目を迎えた時。この原水禁で感じたこの気持ちをどう伝えたらいいのか戸惑った。被爆者の気持ちが、長崎の人々の思いがちゃんと伝わるのだろうか。自分の言葉にすることが怖かった。しかし3日目の集会での「核兵器のない世界をめざす被爆国の決意」にて、高校生、小学生たちが言った言葉が衝撃だった。「微力だけど無力じゃない。若者なりに出来る事、若者だから出来る事をやっていきます」「自分なりの言葉で伝えていきます」この言葉に、頭を殴られたような気持ちを感じ、そして涙が流れた。
私は思いを伝えることが苦手だ。しかし、必死に、自分の言葉で話す彼らの姿に、下手でも良い、苦手でもいい、もう二度と同じ生き地獄を見ないために、声を上げなければならないのだと感じた。自分の大切な人たち、すべての人々を絶対に被爆者にしてはならない。その為には声を上げて行動するしかないのだ。
当時を学ぶ中で、その時代にも署名活動は行われていたことを知る。
「こんな時でも署名をしていたのです。続けていれば必ず何か変わるのです」諦めずに行動し続けることが大切なのだと感じた。
知っていたはず”だった事実を、本当の意味で“知る”ことが出来た3日間。
やっとスタート地点に立てた気持ちである。3日間という短過ぎる時間ではあったが、今後は原水禁に参加した伝承者として、自分が出来ることを、自分なりに考え、発信していくことが今私に出来る事だと思う。              

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