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平和

原水禁世界大会報告(4)

「語り部」から「伝承者」へ

  北多摩第3支部みたかつくしんぼ保育園分会 
 岡部 陽介

 67年前の8月6日午前8時15分、広島の街に一発の原子爆弾が投下されました。爆風と数千度の熱線で街は一瞬にして破壊され、この世の地獄を作り出しました。それから67年経った現在、同じ日、同じ時間、同じ場所に私は立っていました。目を閉じ、もし自分が67年前の広島に、あの地獄といわれた惨劇の中にいたとしたら…と想像すると鳥肌が立ち、とても恐ろしく、こんなことは二度とあってはいけないと強く思いました。
 核兵器を使用された唯一の国として日本は核兵器の恐ろしさを世界に訴え続けてきました。今もなお生き残った被爆者は放射線の後障害で苦しんでいます。そして昨年の3.11福島第一原発事故は核被害の恐ろしさをあらためて浮き彫りにしました。昨年の大会は東日本大震災・福島第一原発事故の直後に行われ、核兵器廃絶と被爆者擁護、そして原発ゼロを目指す運動を連帯していこうとなりました。戦争で使用するものであろうが平和利用で使用するものであろうが“核は核”です。今年の大会も昨年に引き続き、いかなる核の被害者もつくらせないことは核兵器廃絶と原発ゼロを目指す2つの運動の共通の願いだと話がありました。

 分科会は『青年のひろば』に参加し、被爆者訪問をして2人の被爆者の方から体験談を聞きました。今まで何人か被爆者の方の話を聞いたことがありますが、被爆者も十人十色で、原爆を受けて被爆した人、原爆投下後に市内入り被曝した人、被爆者だけれども被ばくの仕方も違えば被ばくした場所も違います。1人1人の体験談が唯一のもので、同じ体験談は他の人からは聞くことができないとても貴重な体験談です。できることなら被爆者の方全員から話を聞きたいくらいです。今回話をしてくれた2人の方から共通して出てきたことがあります。それは「今日の話を聞いて、そして広島に来て感じたことをひとつでもいいから見つけて、それを1人でも多くの人に伝えて欲しい」ということでした。そのなかでとても印象に残った言葉があります。「語り部ではなく伝承者」という言葉です。今まで被爆体験を語る人のことを語り部と呼んでいましたが、ただ体験したことを話すのではなく、その体験した話をした人に語り継いでいって欲しい。“被爆者がいなくなればそれで終わり”にしたくないという気持ちで広島市では呼び方を変えたそうです。確かに非人道的な行為で沢山の死者をだし、今もなお世代を越えて人を苦しめ続けることは許されることではないし、絶対に忘れてはいけないことです。その時に起きた出来事を正確に後世に伝え続けていかなければならないことだと思いました。
 2人の以外にも被爆者の方が参加していたので、空いた時間に直接話を聞くこともでき改めて原爆の恐ろしさを知らされました。
 今年は夜まで広島にいたので灯籠流しもしてきました。灯籠に平和への思いを書き、当時は死者で埋めつくされた元安川へ灯籠を流しました。水に流すということもあるのか、流し終わった後は心がスッキリしたような不思議な気持ちになりました。滅多に体験できることではないので、その時思った気持ちは一生大切にしたいと思いました。

今年で3年連続世界大会に参加しました。今回は「伝承」ということの大切さを教えてもらいました。当時の出来事を風化させないように私自身も伝承されたことを、地元に帰ってから色んな人に伝えていきます。
 今回参加するにあたり、署名やカンパの協力や折り鶴を折ってくれた方々、皆さんのおかげで参加することができました。この場をお借りして深く御礼申し上げます。本当にありがとうございました。

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